雨乞山には夕日が沈んで

細く長く、地元の昔話を読んだり実際に見に行ったりしています

私のための續三州奇談のタイトルメモ

『續三州奇談*1』のタイトル一覧と、舞台になった場所のメモです。
大体加賀から順に北上しているのだけど、タイトルだけじゃどこが舞台か判りにくいんですもの。
旧字体は面倒なので新字体を使ってます。
※自信ないものは「?」をつけたりしています。
※まだ読み終えていないので、お話読んで間違いに気づき次第訂正。
※舞台が複数あるものは並列したり、ざっくりと書いたり。

三州奇談の時とまぁ同じやり方なわけです。
あと、こちらのほうはなんだか紀行文っぽい。

巻ノ一

亀祭の紀譚(富山県射水市放生津町)
霊社の御蟹(富山県射水市放生津町)
僧弁追剥(石動山中)
西住の古碑(富山県高岡市戸出大清水)
獅山の旧譚(加賀市 ?)

*1:または、『三州奇談後編』

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三州奇談のタイトルざっとまとめ終えました

タイトルそのままです。


私のための三州奇談のタイトルメモ - 雨乞山には夕日が沈んで


気が向いた時にしかやらなかったので、スタートから結構時間が経っています。これは反省。
ざっとタイトルを書き出し、だいたいどの辺が舞台なのか見当をつけては書いていたのですが、*1気になることが一つ。

三州って謳ってるけど、能州の奇談無くね?


マイペースに個別の奇事を掘り下げたり、『続三州奇談』『奇事談』もやって行きます。

*1:大体この舞台の現在の地名調べとかに時間を盗られて、だんだん億劫になっていった

「わし」のこと

万葉集巻十六*1に収められた歌に出てくる文言のこと。

梯立の 熊来のやらに 新羅斧 堕とし入れ わし
懸けて懸けて 勿泣かしそね 浮き出づるやらと見む わし

新羅斧の歌と熊木酒屋の歌にも出てくる謎の言葉「わし」であるが、「わっしょい」というような意味の言葉であるらしい。だが、この言葉を入れられている意味がよくわからないのではないだろうか。高価な斧を落として、何がワッショイなのかと。
コヤブ歴史堂*2では、この歌を「万葉集には人が大事な物を落とした時に何ふざけているのかと怒りたくなる歌がある」と紹介し、その際に「今で言う「ゲッツ!」や「フォー」のような当時のギャグではないか?」という解説があった。七五調を乱しいまいち語呂が悪いというのに、2首にも入れられているので、当時もしくはその当時の熊木ではかなり流行っていたのだろう。
流行りのギャグなのならば、ギャグを交えたコミカルな歌なのだろうが、当時のギャグというものが分からないので、もうこの歌のニュアンスはわからないのだろう。

【参考】
コヤブ歴史堂の魅力|こはにわ歴史堂のブログ*3

【関連?】
熊来酒屋のこと - 雨乞山には夕日が沈んで

*1:この巻の歌は面白い物が多い。歌の説明文の物語も面白い

*2:非常に面白い。石川でも数週遅れで放送されているので、是非見ることをおすすめしたい

*3:番組だけでなく先生のブログもおすすめしたい

七尾城に行ってきた

帰省中に良いお天気の日があったのでふらりと行ってきました。ふらりと行ったせいで、ワンピースにパンプスというあまりにラフな格好だったせいで泣きそうになったりもしました。こないだの松根城で全く懲りてない。
能登畠山氏の城で、その後上杉氏・織田氏へと渡り、前田氏の時代に一国一城令により廃城になった城です。*1

松根城の記事と同じように、文字が入っている写真はデータ大きめです。文字無しの写真は小さくしたので、前回より写真数が多くなっております。

*1:小丸山城が出来て役目を終えたわけではないそうで、その辺の最新研究とか掲載したものって無いのかしら。

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天行寺山のこと

中島町笠師と志賀町矢田に跨る山。
頂上は137メートル。
山頂には延命地蔵が祀られている。
子供の頃、山頂に行ったと祖父いわく、確かに小さな祠があったそうだ。

近くにある、志賀町矢田へと抜ける峠を天行寺峠という。
そこには天狗が住んでいたと言われ、木の上から砂をまいたりしていたという話が有る。
ちなみにこの天狗隠れ蓑を騙し取られている。

しばらくしてから行ってみた
天狗が出たっていう天行寺峠を行ってきた - 雨乞山には夕日が沈んで

松根城に行ってきた

国道359号線を行くと、県境近くに標識が見えて来る松根城。
古くは木曽義仲が使ったという説もあり、南北朝の騒乱や戦国時代の一向一揆・前田氏と佐々氏の争いで使われ、一国一城令の後に使われなくなった城です。

国道に標識があることからも、以前から気にはなっていたのですが、
用事が終わったあと、なんとなくふらふらと行って参りました。
思い立ったまま、Tシャツ・ジーンズ・スニーカーという格好行ったのはいいのですが、
途中でクマ出没のニュースのことを思い出して一人青ざめたりしていたので、
山城を行くには装備が甘かったですね。これは猛省しなくては。

以下に写真を載せていますが、後で看板の文字を見返せるようにデータ量が大きい物を使っています。

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『四不語録』のこと

浅香久敬(山井)*1が著した奇談集のこと。

作者の浅香久敬は六百石拝領の加賀藩士であり、加賀藩四代藩主*2前田綱紀*3に仕える。
『四不語録』の他にも『三日月の日記』『能登浦伝』などの紀行文、江戸時代最大級の徒然草注釈書『徒然草諸抄大成』も残している。
藩士としては能登・京都への滞在、綱紀の参勤交代に随行などしている。

『四不語録』は朝香久敬が60代の頃に書かれたとされている。
国書総目録』によると加越能文庫にあるとされているが、加越能文庫には現存はしない。*4
元々はかなりの数の話が書かれていたそうだが、今では散逸し怪談話の部分しか伺えず、それも写本でしか残っていない。

【関連】
私のための四不語録のタイトルメモ - 雨乞山には夕日が沈んで

【参考】*5
川平 敏文(2000)「浅香久敬--元禄加賀藩士の前半生」『語文研究 (90)』pp 1-15.九州大学国語国文学
川平 敏文(2001)「浅香久敬--元禄加賀藩士の後半生」『語文研究 (91)』pp 22-37.九州大学国語国文学

*1:と書かれている本もある。

*2:加賀前田家としては五代目となる。幕藩体制が成立する前に前田利家公亡くなってるのに「加賀藩五代」とか書かれたりする。何なの?藩主も追号できるの?

*3:学問好きで東寺百合文書に桐箱を贈ったりしている。お生まれになった時に父・光高公は喜びの歌を詠んだり参勤交代で猛スピードを出したと残されている。他にも兼六園の元になった庭園を作ったのもこの方。

*4:玉川図書館行った。確認した。がっかりした。

*5:参考文献の書き方ってこうだっけ?