令和二年十一月下旬の盤谷峠近くの不親切城跡2つのこと
盤谷峠(ばんたんとうげ)とは、石川県道23号線の七尾市~志賀町境の峠であり、南北朝時代の戦で活躍したとされる城址が所々にある。
南北朝時代は能登畠山氏の領地というよりは、桃井直常が大活躍の舞台という感じがするが、言うてどちらも清和源氏だし「これだから河内源氏は」っていう所に行きつく気もするが、所詮個人の感想です。
ともかく、この峠近くの城跡は南北朝期という混沌of混沌時代の史跡だからか、市政・町政がさして興味がないからか非常に不親切です。
まず、町屋堡である。
読み方は「まちやのほ」もしくは「まちやのとりで」だろうか。
虫ヶ峰を登るようにして行けば、石垣とかそれっぽい跡が結構見える。
堀的なものを感じる地形。
この日は、石垣とかわかりやすいものはあまりにも分かりやすいので撮っていなかった。
この先は集落など無く虫ヶ峰の山頂ぐらいしか無いのに、使いやすいように手が入った水路も人が住んでいた形跡感がすさまじい。
自分の写真の腕、カメラの性能、写真の腕、差し引いても人の手が入った水路であるというのは見ればよくわかりますので、雪が溶けたら行ってみればよろしい。基本的に舗装された道から見るだけでも分かりますし、峨山道ということもあり比較的手が入っています。
峨山道としては優しく、所々にこんな看板が立っていますが、城跡としては優しさ皆無。見落としているのかも知れませんが、看板なんぞ見当たりません。
七尾市側の不親切史跡の次は志賀町側の不親切史跡・木尾嶽城です。
写真の看板はマップの端にある石川県道51号線沿いにある志賀農業協同組合 富来配送センターの近くに立っていますし、下のような記念碑のようなものもあります。
石碑の前あたりから、なんか山頂へ行けそうな気もします。が、ちょっと登ってみるとその先へと続いてるような気配は皆無です。
何なら石川県道23号線と51号線の交点*1にも石碑が立っています。
ですが、やはり51号線側からはいけませんし、多少ウロウロしても登山ルートのようなものへの看板すら見当たらない。後から調べてもても、登山ルートはあるようだけども、そのための駐車場とかは見当たらない。
その日は無理せず退散したものの、史跡として整備されているはずなので*2調べてみると、どうも県道23号線から城跡近くへと続く林道がある模様。
県道23号線は上りからも下りからもそれなりに通っているはずなのに、そのような看板見た覚えがないし、ネットで参考にさせて頂いた先人たちの経験からしても県道側からの案内は無い模様。*3
雪が溶けてもオフロードでないと近くまでも行けないようだし、何にせよちょっと足を伸ばして見ようという城跡ではなさそうだ。
何にせよ、どちらも整備はともかく、案内すらないってのはもったいないし不親切である。