令和四年七月上旬の石動山をお散歩すること
石動山(いするぎさん)は山岳信仰の霊場であり、今も伊須流岐比古神社が御座しまし、寺社の跡等は能登歴史公園区域として整備されている。
コロナで人が多いところは躊躇われるし、木陰を散歩するというのもいいじゃあないかと思い、散歩してきました。
まずアクセスについて。林道城石線から行くのがベストでしょう(断言)
数年前、中能登町建部の健部神社横の林道から行ったことがあるけども、ほとんどが車一台分しか通れないような細くガードレールも無い曲がりくねった道ばかり。うっかりしたら道から落っこちるのではないかと、常に気が抜けず疲れます。
富山側にも道はあるけれども、集落の中を通ったりしてなかなか細く曲がりくねった道です。こちらも必要でない限りおすすめはしません。
いくつか駐車場はあるが、石動山資料館横の駐車場が一番広いし使い勝手が良いでしょう。
続きを読む令和二年十一月下旬の盤谷峠近くの不親切城跡2つのこと
盤谷峠(ばんたんとうげ)とは、石川県道23号線の七尾市~志賀町境の峠であり、南北朝時代の戦で活躍したとされる城址が所々にある。
南北朝時代は能登畠山氏の領地というよりは、桃井直常が大活躍の舞台という感じがするが、言うてどちらも清和源氏だし「これだから河内源氏は」っていう所に行きつく気もするが、所詮個人の感想です。
ともかく、この峠近くの城跡は南北朝期という混沌of混沌時代の史跡だからか、市政・町政がさして興味がないからか非常に不親切です。
まず、町屋堡である。
読み方は「まちやのほ」もしくは「まちやのとりで」だろうか。
虫ヶ峰を登るようにして行けば、石垣とかそれっぽい跡が結構見える。
堀的なものを感じる地形。
この日は、石垣とかわかりやすいものはあまりにも分かりやすいので撮っていなかった。
この先は集落など無く虫ヶ峰の山頂ぐらいしか無いのに、使いやすいように手が入った水路も人が住んでいた形跡感がすさまじい。
自分の写真の腕、カメラの性能、写真の腕、差し引いても人の手が入った水路であるというのは見ればよくわかりますので、雪が溶けたら行ってみればよろしい。基本的に舗装された道から見るだけでも分かりますし、峨山道ということもあり比較的手が入っています。
峨山道としては優しく、所々にこんな看板が立っていますが、城跡としては優しさ皆無。見落としているのかも知れませんが、看板なんぞ見当たりません。
七尾市側の不親切史跡の次は志賀町側の不親切史跡・木尾嶽城です。
写真の看板はマップの端にある石川県道51号線沿いにある志賀農業協同組合 富来配送センターの近くに立っていますし、下のような記念碑のようなものもあります。
石碑の前あたりから、なんか山頂へ行けそうな気もします。が、ちょっと登ってみるとその先へと続いてるような気配は皆無です。
何なら石川県道23号線と51号線の交点*1にも石碑が立っています。
ですが、やはり51号線側からはいけませんし、多少ウロウロしても登山ルートのようなものへの看板すら見当たらない。後から調べてもても、登山ルートはあるようだけども、そのための駐車場とかは見当たらない。
その日は無理せず退散したものの、史跡として整備されているはずなので*2調べてみると、どうも県道23号線から城跡近くへと続く林道がある模様。
県道23号線は上りからも下りからもそれなりに通っているはずなのに、そのような看板見た覚えがないし、ネットで参考にさせて頂いた先人たちの経験からしても県道側からの案内は無い模様。*3
雪が溶けてもオフロードでないと近くまでも行けないようだし、何にせよちょっと足を伸ばして見ようという城跡ではなさそうだ。
何にせよ、どちらも整備はともかく、案内すらないってのはもったいないし不親切である。
令和二年十月下旬の上大沢町のこと
今年も趣味と誰かしら何かしらの記録のお手伝いになればいいなと気が向いたらやっていきます。
そんなわけで、去年の上大沢の写真。
パーキングに車を止めてウロウロと足を伸ばそうかと思ったけれども、この時期で風が強いし冷たいしでパーキング内から出なかったのでした。
パーキングから海を撮ってみたが、「波を撮るのは難しい」という結論しか出せなかった。
そして、この程度の波風なのに、このまま外浦を輪島まで行くのは恐ろしいと思って引き返したのだった。
あの音はともに生まれ育たなければ、慣れるなんてあり得ないような気がする。
今の時期ならもっと酷い波風だろう。運転怖そう。
令和二年十月下旬の男女滝のこと
碁石ヶ峰うろつきたかったけども、天気が悪かったので神子原でコロッケ食べてきたこと
タイトルで今日あったことの9割方を説明している。
兎角、曇り空とはいえ、雨さえ降らなければ羽咋市の福水城趾らしき神社か中能登町の新山城とか見たいなと思って、家を出たら雨が降ってきたので予定変更。
神子原農産物直売所「神子の里(みこのさと)」でイノシシ食べて帰ることにしました。
mikohara.com
オンラインショップもある。
世の中に発信してていいなと思っていたら、このHPにはリアル店舗写真載っているというのに店の住所が書いてなければGoogleマップも埋め込んでない。トップの文章に「羽咋市の東部~」とか書いてあるけども、わかりにくい。というか、最初全く気づかなかったし。店舗名か住所あると、グーグルマップとかで経路検索しやすいのに、勿体無い。
せっかくステキなデザインなのにそこは残念。*1
店舗のほうは神子原地区で採れたお野菜とか、お蕎麦とか神子原で作った加工品やその他能登での商品とかを扱っておりました。ごまプリンとか気になるお菓子もあったんですが、予定変更したせいかコロッケ買うぐらいが精一杯の現金しか持ち歩いてなかったので断念。
イノシシとかのジビエや、時期のものだとフキノトウもあった。これから山菜の時期だし、ちょっとマメに行きたい。
それはそうと、店内で延々と神子原のことを歌った謎の音頭が流れていた。去年の夏ぐらいに来たときも流れてたし、他の選曲はないものかと思ったりもする。歌詞がローマ法王に献上した事を推してるんだけども、法王猊下も代替わりしたしドラマも何年も前の作品になったし、偉業だとは思うけども、他にも無いのかしら?と思う時もある。
とりとめもないこと考えながらの徘徊を終えて、本日の目的・イノシシを食べるためにレジへ。
その場で注文して食べられるイノシシがコロッケしかなかったのでそれを注文。
よくよく見たら、レジがカード対応してるし、電子マネーとかVisa Touchとかそういうの使えそうな端末も置いてある。あれ、もっとそういう情報押し出せばいいのに…知ってたらもっと軽率にお買い物したのに。
イートインもあったけども、社内でラジオ聴きながらいただきました。
コロッケはオーソドックスなコロッケ*2に、ミンチではなくて多きめのイノシシチャーシューが入ってる。チャーシューが美味しかったので、それだけ食べたいぐらいでした。
欲を言えば串焼きみたいなもっと肉を全面的に押し出したイノシシ食べたかった。
とはいえ、温かいコロッケはそれだけでほんとに良いものだし、クワイとかを使ったカレーも次は食べたいので、また食べに行きます。
久しぶりの氾濫のこと
平成最後の夏、よりにもよって夏の最後である、8月31日に大雨が振りまして。
久しぶりに思わず変な声が出てしまうような凄まじい光景を見たので、少しばかり記念撮影。
次の大雨のときは注意したい。
撮影箇所はこの交差点。
車窓越しに撮ったので、ボケているのはご容赦を。
マツキヨ、昨日(8月30日)にリニューアルオープンしたばかりなので、ただただ気の毒。
線路までの大きなプールの出来上がり。
田んぼ、ひどいことになってそう…
ラジオ・テレビでは熊木川の氾濫ばかり言ってましたが、日用川のほうも氾濫していて、崎山地区・河崎地区なんてほとんど没んでたじゃないか。
道路情報をチェックしていたら、上流の方も冠水しているので、こちらの方もなかなかに厄介な川だと、よく分かる。その昔河川工事していたのに。
自分は絶対帰宅の途中の道が没んでると思って、仕事を早退。ところどころ冠水していたり、洗い越しが出来ていたりして、ひょっとしたらこの今日は家に帰れないんじゃないだろうか?と絶望するものの、普段の5倍ぐらい回り道をしてなんとか帰れました。
途中、早退せずに水が引くであろう定時に帰ったほうが良かったか、とか考えました。しかし、水が引いた跡に流木なんかがゴロゴロしてたので、明るく車通りの少ない間に帰って正解だったと、考えを改めました。
洪水後の置き土産、ホントめんどくさいな。