雨乞山には夕日が沈んで

細く長く、地元の昔話を読んだり実際に見に行ったりしています

記録

令和二年十一月下旬の盤谷峠近くの不親切城跡2つのこと

盤谷峠(ばんたんとうげ)とは、石川県道23号線の七尾市~志賀町境の峠であり、南北朝時代の戦で活躍したとされる城址が所々にある。 南北朝時代は能登畠山氏の領地というよりは、桃井直常が大活躍の舞台という感じがするが、言うてどちらも清和源氏だし「こ…

令和二年十月下旬の上大沢町のこと

今年も趣味と誰かしら何かしらの記録のお手伝いになればいいなと気が向いたらやっていきます。そんなわけで、去年の上大沢の写真。 パーキングに車を止めてウロウロと足を伸ばそうかと思ったけれども、この時期で風が強いし冷たいしでパーキング内から出なか…

令和二年十月下旬の男女滝のこと

コロナ禍でよそに行けなきゃ地元を徘徊しまわればいいじゃない! そういう気持ちで秋頃から能登を徘徊し始めたのですが、ただ徘徊するのではつまらないので、 構図だの画質だのは考えず、手持ちのスマホでちょこちょこ記録することとしました。10月25日の男…

久しぶりの氾濫のこと

平成最後の夏、よりにもよって夏の最後である、8月31日に大雨が振りまして。 久しぶりに思わず変な声が出てしまうような凄まじい光景を見たので、少しばかり記念撮影。 次の大雨のときは注意したい。撮影箇所はこの交差点。 車窓越しに撮ったので、ボケてい…

天行寺山のこと

中島町笠師と志賀町矢田に跨る山。 頂上は137メートル。 山頂には延命地蔵が祀られている。 子供の頃、山頂に行ったと祖父いわく、確かに小さな祠があったそうだ。近くにある、志賀町矢田へと抜ける峠を天行寺峠という。 そこには天狗が住んでいたと言われ、…

『四不語録』のこと

浅香久敬(山井)*1が著した奇談集のこと。作者の浅香久敬は六百石拝領の加賀藩士であり、加賀藩四代藩主*2前田綱紀*3に仕える。 『四不語録』の他にも『三日月の日記』『能登浦伝』などの紀行文、江戸時代最大級の徒然草注釈書『徒然草諸抄大成』も残している…

石山合戦のこと

浄土真宗本願寺勢と織田信長との戦いのこと。 主戦場は摂津国石山である。能登とはかなり離れた場所の合戦ではあるが、能登からも一向宗が援軍に向かったという記録がある。*1当時の寺院の繋がりが垣間見える。 当時の能登の一向宗の動きとしては、他にも上…

熊来酒屋のこと

万葉集に見える熊木*1にあったら酒屋のこと。 ここでいう酒屋は「酒の販売所」ではなく「酒の醸造所」のこと。過去にも実際にどこにあったのだろうか気になった人はいたようだが、結局わからなかったらしい。*2わし。【関係奇事】 「わし」のこと - 雨乞山に…

トクショウ寺のこと

ここでは2つのトクショウ寺のこと。まず1つ目が、 中島町長浦にあった徳昌寺のこと。 天正四(1576)年、上杉謙信の能登侵攻*1に対し、一揆を起こす。 笠師付近で合戦するも敗北し、住職とその長男は生け捕りとなり、磔にされる。2つ目が、 今も中島町河崎…

鹿島半郡のこと

ここでは天正8年(1580年)9月1日に長連龍が織田信長から与えられた鹿島郡半分にあたる領地のことである。『長氏文献集』によると、 其趣は今般鹿島郡川西半郡領掌之儀、於菱脇得大利、金丸等之敵城を攻、軍功無比類被感思召處也。然者依為一所懸命之地、先此…

黒手のこと

現在の七尾市中島町豊田か豊田町に出たという妖怪。 詳しくは以下のリンクを参照にされたし。 黒手 - Wikipedia『黒手切り』には如庵(長連龍のこと)とあるので、1606年から1619年の間に出たのかもしれないが、だいたいこの手の文章は出家後の院号で書かれ…

雨乞山のこと

各地にありそうなありふれた名前の山ではあるが、日吉神社の後ろのような場所にある一際高い山を指す。 頂上は136m。ちょうど豊田の後ろに当たるようなところにある。頂上の所在地は豊田になるが、昭和3年に刊行された『石川縣鹿島郡誌』には、雨乞山には「…