雨乞山には夕日が沈んで

細く長く、地元の昔話を読んだり実際に見に行ったりしています

「わし」のこと

万葉集巻十六*1に収められた歌に出てくる文言のこと。

梯立の 熊来のやらに 新羅斧 堕とし入れ わし
懸けて懸けて 勿泣かしそね 浮き出づるやらと見む わし

新羅斧の歌と熊木酒屋の歌にも出てくる謎の言葉「わし」であるが、「わっしょい」というような意味の言葉であるらしい。だが、この言葉を入れられている意味がよくわからないのではないだろうか。高価な斧を落として、何がワッショイなのかと。
コヤブ歴史堂*2では、この歌を「万葉集には人が大事な物を落とした時に何ふざけているのかと怒りたくなる歌がある」と紹介し、その際に「今で言う「ゲッツ!」や「フォー」のような当時のギャグではないか?」という解説があった。七五調を乱しいまいち語呂が悪いというのに、2首にも入れられているので、当時もしくはその当時の熊木ではかなり流行っていたのだろう。
流行りのギャグなのならば、ギャグを交えたコミカルな歌なのだろうが、当時のギャグというものが分からないので、もうこの歌のニュアンスはわからないのだろう。

【参考】
コヤブ歴史堂の魅力|こはにわ歴史堂のブログ*3

【関連?】
熊来酒屋のこと - 雨乞山には夕日が沈んで

*1:この巻の歌は面白い物が多い。歌の説明文の物語も面白い

*2:非常に面白い。石川でも数週遅れで放送されているので、是非見ることをおすすめしたい

*3:番組だけでなく先生のブログもおすすめしたい

七尾城に行ってきた

帰省中に良いお天気の日があったのでふらりと行ってきました。ふらりと行ったせいで、ワンピースにパンプスというあまりにラフな格好だったせいで泣きそうになったりもしました。こないだの松根城で全く懲りてない。
能登畠山氏の城で、その後上杉氏・織田氏へと渡り、前田氏の時代に一国一城令により廃城になった城です。*1

松根城の記事と同じように、文字が入っている写真はデータ大きめです。文字無しの写真は小さくしたので、前回より写真数が多くなっております。

*1:小丸山城が出来て役目を終えたわけではないそうで、その辺の最新研究とか掲載したものって無いのかしら。

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天行寺山のこと

中島町笠師と志賀町矢田に跨る山。
頂上は137メートル。
山頂には延命地蔵が祀られている。
子供の頃、山頂に行ったと祖父いわく、確かに小さな祠があったそうだ。

近くにある、志賀町矢田へと抜ける峠を天行寺峠という。
そこには天狗が住んでいたと言われ、木の上から砂をまいたりしていたという話が有る。
ちなみにこの天狗隠れ蓑を騙し取られている。

しばらくしてから行ってみた
天狗が出たっていう天行寺峠を行ってきた - 雨乞山には夕日が沈んで

松根城に行ってきた

国道359号線を行くと、県境近くに標識が見えて来る松根城。
古くは木曽義仲が使ったという説もあり、南北朝の騒乱や戦国時代の一向一揆・前田氏と佐々氏の争いで使われ、一国一城令の後に使われなくなった城です。

国道に標識があることからも、以前から気にはなっていたのですが、
用事が終わったあと、なんとなくふらふらと行って参りました。
思い立ったまま、Tシャツ・ジーンズ・スニーカーという格好行ったのはいいのですが、
途中でクマ出没のニュースのことを思い出して一人青ざめたりしていたので、
山城を行くには装備が甘かったですね。これは猛省しなくては。

以下に写真を載せていますが、後で看板の文字を見返せるようにデータ量が大きい物を使っています。

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『四不語録』のこと

浅香久敬(山井)*1が著した奇談集のこと。

作者の浅香久敬は六百石拝領の加賀藩士であり、加賀藩四代藩主*2前田綱紀*3に仕える。
『四不語録』の他にも『三日月の日記』『能登浦伝』などの紀行文、江戸時代最大級の徒然草注釈書『徒然草諸抄大成』も残している。
藩士としては能登・京都への滞在、綱紀の参勤交代に随行などしている。

『四不語録』は朝香久敬が60代の頃に書かれたとされている。
国書総目録』によると加越能文庫にあるとされているが、加越能文庫には現存はしない。*4
元々はかなりの数の話が書かれていたそうだが、今では散逸し怪談話の部分しか伺えず、それも写本でしか残っていない。

【関連】
私のための四不語録のタイトルメモ - 雨乞山には夕日が沈んで

【参考】*5
川平 敏文(2000)「浅香久敬--元禄加賀藩士の前半生」『語文研究 (90)』pp 1-15.九州大学国語国文学
川平 敏文(2001)「浅香久敬--元禄加賀藩士の後半生」『語文研究 (91)』pp 22-37.九州大学国語国文学

*1:と書かれている本もある。

*2:加賀前田家としては五代目となる。幕藩体制が成立する前に前田利家公亡くなってるのに「加賀藩五代」とか書かれたりする。何なの?藩主も追号できるの?

*3:学問好きで東寺百合文書に桐箱を贈ったりしている。お生まれになった時に父・光高公は喜びの歌を詠んだり参勤交代で猛スピードを出したと残されている。他にも兼六園の元になった庭園を作ったのもこの方。

*4:玉川図書館行った。確認した。がっかりした。

*5:参考文献の書き方ってこうだっけ?

私のための三州奇談のタイトルメモ

またまた私のためのまとめ記事。
『三州奇談』のタイトル一覧と、舞台になった場所のメモです。
大体加賀から順に北上しているのだけど、タイトルだけじゃどこが舞台か判りにくいんですもの。
旧字体は面倒なので新字体を使ってます。
※自信ないものは「?」をつけたりしています。
※まだ読み終えていないので、お話読んで間違いに気づき次第訂正。
※舞台が複数あるものは並列したり、ざっくりと書いたり。

巻之一

白山の霊妙(白山)
大日山の怪(大日山*1
吉崎の逃火(加賀市吉崎町と現福井県あわら市吉崎)
菅谷の巨蟒(加賀市山中温泉菅谷町)
火光断絶の刀(加賀市大聖寺神明町
砥蔵の霊風(加賀市山中温泉坂下町 ?)
小野の老翁(加賀市大聖寺畑町)
蘇氏有験(加賀市大聖寺地区)
蛙還呑蛇(加賀市大聖寺新町と福田町に掛かる福田橋の近く)
中代の若狐(加賀市中代町)
石坂の瀑布(加賀市熊坂町
面長の妖女(加賀市大聖寺城下地域)
敷地馬塚(加賀市大聖寺敷地町、菅生石部神社)
菅谷の鬼婦(加賀市菅谷町)
傀儡有気(加賀市山中温泉薬師町)
山中の隕石(山中温泉
温泉の馬妖(加賀市山中温泉薬師町)
囲炉裏の茸(加賀市山中温泉 現湯の本町か?)
山代の蜈蚣(加賀市山代温泉
鶴瀧の記事(加賀市山中温泉荒谷町 鶴ヶ滝)
那谷の秋風(小松市那谷町 那谷寺と小松市細工町 本蓮寺)
家狸の風流(小松城下地域)

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どこまで本当なのか分からない昔話

父からか聞いた話なので、与太話なのかどこまで本当なのかわからない昔話。
父から聞いただけなので資料などは全く調べていません。

その①
私の地元では氏子区域と小学校区というのが大体一致するのですが、一つだけ小学校の地区は一緒だけれども氏神神社が違うという地域があります。
何でもその昔、隣り合った神社の間で婚礼があり、その地域が結納品とされたためだとか。

その②
古代と呼ばれるその昔から、異国からの玄関口だった某所。
千年以上経った今でもたまーにエキゾチックな顔立ちの方が生まれてくるのは、古代の大陸の血が現れるからだとかなんだとか。