雨乞山には夕日が沈んで

細く長く、地元の昔話を読んだり実際に見に行ったりしています

温井舘址に行ってきた

前々からよく通る道の近くにあるらしいので行ってきました温井舘址。
どうでもいいんですが、太閤立志伝とかで温井景隆ゲットしても、大してステータス高くないので使いドコロが無いというか、もっとステータス高い他の武将を使っちゃうので持て余しちゃうんですよね。ほんとどうでも良い。
というか、能登畠山氏関連の武将は織田氏関連の武将と比べちゃうと平均的に低いんですけどねー。コーエー史観ってこうして根付いていくんだな。

閑話終了。以下に、行ってきた時の写真などを貼っておきます。

所在地は七尾市満仁町となります。伊久留川を挟んだ向こうに温井町があるんですが、ダマされないように要注意です。
そういえば、この立地って長連龍が僧侶をやっていた孝恩寺のあった池崎町のすぐそばなのですよね。長連龍が普通の僧侶やってたとは思えない*1ということと、温井舘址が満仁町にあったことから考えて、この辺りは当時の要所だったのかもしれません。

田鶴浜市街から高階小学校へと向かう途中に見えるポコンと小高いお山が舘址です。
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このボートに見覚えある人もいるでしょう。ちなみに矢印には「駐車場」と書かれています。

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この先に駐車場があります。ただ、この道細いし急だし、軽で行ったんですが、それでも物凄く怖かったです。
駐車場は2台停められるほどのスペースだったでしょうか。駐車場は舗装されておらず、私が行った時はぬかるんでおりました。なんということだ!結構間近に多分メスの雉がおりました。きっと滅多に人が来ないから油断してたんだろうな、雉。

「駐車場」の看板があった辺りに石碑があったので、元きた道を下ります。
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舘址のお山は「舘山」というそうです。知らなかった。
「細いし急だし怖い!」とか思いながら運転してた坂道は参道になるようです。

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もう一つ由来を書き記した石碑があったんですが、不親切設計な角度と枝のせいで読みづらい。

駐車場の側に、順路のようなちゃんとした階段があったのですが、お山の麓の方にこんな階段がありました。石碑のあたりから5メートルと離れていなかったでしょうか?
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写真ぶれまくってます。「なんだこの道は!?」とテンション上がってたせいだな…これは。
ともかく、こんな気になる小道は進むしか無いのです。

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階段の先はジグザグになっておりまして、こんな谷が。堀とかそういう類の遺構なんでしょうか?それとも天然なんでしょうか。

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参道脇の階段も山頂近くぐらいに、ちょっとした石垣が。
当時のものなのか、後世整備した時のものなのかどうなんでしょうかね。関連資料全く見たこと無いのでなんとも言えない。

山頂には観音様や温井氏の菩提を弔うお墓などなどがありました。
出来るだけ仏像やお墓の類は写真撮りたくないので、ひと通り手を合わせてきました。
いや、だって、死者と言えど寝てる人が落ち着かないのってなんか申し訳ないというか…寺は撮りますが。

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山頂の石碑です。*2
奥の建物の中には仏具が沢山置いてありました。*3お墓に備えられていたお花も新しいものでしたし、立派なことにまめに法要しているようです。


以上、温井舘址でした。
帰りもおっかなびっくり参道を車で下りて行きました。ほんと、あの道を車で行くのは運転に自信ない人にはおすすめできない。

*1:絶対、長連龍って出家した武家の子の大事なお仕事、寺社外交はやってたでしょうね。実際織田に救援求めに行ったのもこの人だし。

*2:あれ?何で写真を縦にできないのさ?

*3:ガラス窓から見えたのです