雨乞山には夕日が沈んで

細く長く、地元の昔話を読んだり実際に見に行ったりしています

七尾城に行ってきた

帰省中に良いお天気の日があったのでふらりと行ってきました。ふらりと行ったせいで、ワンピースにパンプスというあまりにラフな格好だったせいで泣きそうになったりもしました。こないだの松根城で全く懲りてない。
能登畠山氏の城で、その後上杉氏・織田氏へと渡り、前田氏の時代に一国一城令により廃城になった城です。*1

松根城の記事と同じように、文字が入っている写真はデータ大きめです。文字無しの写真は小さくしたので、前回より写真数が多くなっております。


地図にある「七尾城跡」までは七尾駅から徒歩だと1時間以上掛かるので車で行くのがオススメです。確か、七尾駅から麓の国道159号線と県道177号線の交差点あたりまでで徒歩で20分~30分ほどかかっていましたし、バスもないことはないのですが、車で結構近くまで行けます。
県道177号線の終点辺りに資料館があり、すぐそばからも尾根伝いに山頂へと向かうハイキングコースがありますが、近所の高校の登山部がトレーニングに使っているそうなので、そこを行こうと思うのならちゃんと準備をする必要がありそうです。

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調度丸のところにあった案内看板。この案内のとおりにぐるりと回ってきました。
ちなみに調度丸とは、武具等の調度をした場所とのことなんですが、七尾城でしか聞いたことない単語です。

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調度丸から桜馬場へと上がる石垣。
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横から見るとこんな感じ。

桜馬場のすぐ横にある石塁。
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本丸すぐそばであることから、有力家臣だった遊佐氏の屋敷跡だと考えられているそうです。
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遊佐氏屋敷跡のほうから、ひいひい言いながら本丸へ。途中虫捕り網を持った家族とすれ違いました。そういえば、時期も時期だからかクロアゲハとかトンボとか虫捕り甲斐がありそうな虫もよく見ました。
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本丸跡です。石碑と小さな神社があるくらい。
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七尾湾一望出来ます。この景色が見たくて、天気が良い日を選んだのです。

聞きしに及び候より名地、(加)賀・越(中)・能(登)の金目の地形と云い、要害山海相応し、海頬嶋々の躰までも、絵像に写し難き景勝までに候

とか謙信が書いてるそうですが*2、それも納得の光景。もうちょっと霞んでないほうが良かったですが。
当然のごとく、湾の反対側はとにかく山なのですが、こちらは切り立った崖。よくもまぁ、こんなところに城を建てなものだと感心しきりです。

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本丸から遊佐屋敷跡を回るようにして行く道の途中。ところどころ石垣跡があります。

桜馬場沿いを通り、温井屋敷跡の前を通り、少し小高い曲輪に上がるとそこが二の丸です。二の丸以降はほとんど下り坂で、登りといっても、そこまで高くはなかったので、おそらうく一番高い場所だと思うのですが、今では木が生い茂りあまり見晴らしは良くはありませんでした。七尾城について書いてある看板がありましたが、別にわざわざ来て読まずとも、他のところに書いてある文章を読めば十分というような、七尾城の概略でした。
ちなみに、二の丸周辺は歩くのに必死過ぎて写真を全く撮っていません。しくじった。


一番高いと思われる、二の丸から三の丸へと行く時は一度谷を降りてからまた曲輪に上がるのですが、二の丸から降りる所が急で怖い。パンフレットにある地図を見たら、散策コースの中でかなり等高線がぎっしりしています。おそらく、ここか三の丸から安寧寺がある曲輪へと向かう時に降りる坂が七尾城で最も急なのではないでしょうか?

一度坂を降りてしまえば、ゆるやかな上り坂です。散策路にはあまり草も生えておらず、意外と足元は歩きやすく、周りの木々のお陰で木陰で、勾配さえもうちょっと緩やかであれば、散歩にも良い感じでした。ただ、石動山系ではあるので、クマが出てこないかが少し心配でした。山城歩きとか慣れたような方がおいでて、その方はリュックに鈴をつけてました。やはりそうしなければいけませんね。

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結構な距離を歩いて三の丸。一番広い曲輪です。調度真ん中を突っ切るような形で散策路は続いていまして、そのあたりから写真を撮っています。

また、服装について後悔しながら下り坂を進んで、安寧寺跡へ。戦没された方の石碑等がありまして、ナムナムと手を合わせてからさらに進みますと、袴腰・沓掛という辺りに。調度、麓から山を登ってくると、番所跡を過ぎてすぐ辺のようなところです。沓掛という辺りに「ここで身なりを整えたという」という看板がありましたので、七尾城の玄関口だったんでしょうね。ちなみに、沓掛からは市街のほうが見渡せます。
 
沓掛からは調度丸の方面へ緩やかな上り坂です。途中、こんな看板も。
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白米伝説あるじゃない…
【参考】七尾城の白米伝説

さらに進むと、寺屋敷跡が。なんでも、先祖の墓守を務めていた僧兵がいたそうです。
結構な距離と時間を歩いていたことと、場内にそんな施設があることからも、七尾城の規模の凄まじさが伺えます。
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寺屋敷の跡は石階段。ここを登りきれば調度丸に戻ります。杖を持った小父さんがすれ違いましたが、やっぱり装備って大切ですね。

駐車場から本丸まで言って戻るだけなら、30分とかかりませんが、二の丸・三の丸へと足を伸ばすと結構時間をとられます。ここまで見てくださるような方がおりましたら、どうぞご参考に。

*1:小丸山城が出来て役目を終えたわけではないそうで、その辺の最新研究とか掲載したものって無いのかしら。

*2:七尾城パンフに書いてありました。「越能」じゃないのか、と思ったり。